さよならオムツ
我が家の子どもたちは5歳と2歳。既に赤ちゃんではありませんが、まだまだ赤ちゃんに毛が生えたような年齢です。
赤ちゃんと子どもの境目ってどこですかね?歩くようになったら?話すようになったら?それともオムツを卒業したらでしょうか。
にわか家においては、どれも不正解。
境目なんてないんです。気付けばキッズになっているんだなぁ。
世間のイメージではオムツ=赤ちゃん、かもしれませんが、意外とキッズもまだまだオムツのお世話になっていたりします。
オムツとの付き合い方も家庭でさまざまです。前にニュースで見たけれど、一歳(0歳だったかも・・?)からもうオムツははかせない方針の保育園などもあるとか。勿論お漏らししちゃうわけですが、気持ち悪い感覚を覚えると早期のオムツ卒業に繋がるとか。一定期間、汚れ物の洗濯が超大変なものの、早期のオムツ卒業で結果的に親も楽になるとかならないとか。
我が家は、正直、オムツはずれは遅い方だと思います。トイレでしてみる?と誘う程度のトイトレしかしてきてないですし、なんというか、一刻も早く卒業しなきゃ!って思わないんです。なんでお漏らししちゃったの〜とイライラしながら頑張ってオムツを、卒業させるの、しんどいなって。
そういえば昔、まだ実家にいた頃、姉のところの三男がオムツはずれが遅いだのという話になってたんですよ。いえ、別にシリアスな話じゃなくて、冗談ベースな感じで。
確か、うちの両親が、え!まだ外れてないの??もう3歳でしょう?と驚いていた記憶があるんですよね。姉は、いーのいーの、と笑っていたんですが、これ、なんで遅いという話になったかって、長男と次男と比べて遅い、ということだったんです。
その頃私は大学生かなんかで、オムツ卒業の時期の平均値も分かりませんし感覚もなかったんで、へー、遅いんか、ま、そのうちなんとかなるんじゃないの?とくらいしか思わなかったんですが…
え、三歳、遅くなくね?
って、今なら思う。全く、一ミリも、焦る必要、なくないですか?いや、実際姉は焦っていなかったですけど。記憶が古くて、本当にそれが3歳だったのか4歳だったのか、はたまた5歳だったのかはっきりは覚えていないんだけど、確か3歳だったような。でも結構、世間というか、特ににわか妻くらいかその上の世代くらいの人たちは、オムツが外れるのが遅すぎるのは如何なものか、という気持ちを持っている人、多い気がします。
自分の子どもなら、自分の信念をもってオムツ外れと向き合うのは良いと思うんですけど、他の人の子どものオムツ外れが遅くたって早くたって、なんだって良いのにね。中学生でオムツしてるわけじゃあるまいしさ。早い子に対しては、純粋に、凄いね!っと思うけどさ。
とはいえにわか妻だって、そりゃチャンスがあるならオムツ卒業して欲しい。遅くても良い、と思っているだけで、遅い方が良い、というわけではないですからね。
とにかくそんな、トイトレに関して全くのんびり、なんなら息子の時は、ほぼほぼ保育園におんぶに抱っこでパンツマンにさせて頂いた我が家ですが、やはり汗ばむ季節になると、オムツ、暑いだろうな、って思います。
というのも、長男はもう日中オムツのお世話にならずに、既に2年以上たっておりますが、夜寝るときはオムツ使っていたんです。これはもうね、親のエゴ。オムツは履かせるものの、夜している形跡はないのです。オムツが濡れている時は、朝起きてからしてるんです。本人も分かってるんです、あ、今オムツだししちゃえ、って。休日とかでお風呂を早めに入ったりすると、そのままパンツで寝ることも多いんですが、滅多に失敗しないですしね。
とはいえ、ごくまれに夜中にしてる時もありそうで、それを考えると、特に平日はオムツで寝てもらった方が安心して寝れるってものなんです、大人がね。お漏らしをすることに対しては寛容なにわか妻ですが(しちゃうときあるよねって普通に思えます)、実際にシーツはがして洗濯して・・という手間はやはりない方が良い。しかも、夜中にしちゃうと、うちの息子は気付いて起きるタイプ。つまり私も勿論起きないといけないわけです。
そういう大人のエゴで、息子(5)は今まで夜寝るときはオムツだったわけです。サイズはビッグね。で、話戻るけど、やはり汗ばむ季節になると、夜、オムツよりパンツのがサラサラで寝れるよなぁとか思ったり。
そういう気持ちで、オムツの完全卒業に踏み切った・・・・わけではありません。ええ、親のエゴって酷いんです。暑いだろうなと思いつつ、積極的に動かないというね。ひどいわぁ。
しかし、夜だけ使っているビッグサイズのオムツが終わって、買い忘れたタイミングが最近ありまして。
あーごめん、オムツ買い忘れたから今日パンツで寝てね、と言って眠った翌日。
にわか所長が保育園の送迎後に、神妙、かつ興奮した面持ちで私の所に来て、言いました。
「今日イチ、いや、今月イチの出来事が起こった」
曰く、保育園に行く道すがら、息子が言い出したそうです。
「ね、パパ、もうオムツ買わなくていいよ。実はもう、おれさ、パンツで大丈夫なんだよ」
お、お、おとこまえ~~~~!!!
え?なにそれ、自分から言ったの?!カッコよすぎじゃーん。
子どもの生きる力って本当、凄いなって思うんですよね。こんなにも適当な我々のもとにいるのに、結局のところ、ここだというタイミングで、自分で、次のステップに行こう!と踏み切れるんです。
それは、大人が沢山サポートしたら、もっと早く出来たことだと思うんです。だけど、子どもは子どもで、自分なりに、そろそろもう、オムツに頼らなくてもいいな、って思って、自分で、一歩を踏み出す判断を下したんです。
生きる力って、そういうことじゃないのかなぁ。
生まれたその日から、お世話になってきたオムツ。
つかまり立ちの時も、お座りが出来た時も、
力尽きてお昼寝している時も、
そこそこ成長してから、癇癪をおこして泣いている時も。沢山お世話になってきました。
そしてついに、
オムツ、ばいばい。
世間的に見たら、全く全然、遅い時期だし、大して凄いことでもないんでしょうけど、私たちが、一生懸命働きかけたり、けしかけたりしていなかったのに息子が自らそう言ってくれたことがにわか妻にとっては大きな衝撃と感動だったわけです。
それって、子どもの成長として、大きな一つの節目のような気さえします。
例えば、テレビが見たい、おやつ食べたい、公園に行きたい、そういう希望を口に出すようにはなっていましたが、自分の今後を自分で決めるような意思決定を、初めてしたのではないでしょうか。
え、おおげさ?
いえ、そんなことありません。
ほら、小学生の頃に引っ越した友だちに対しての感情と似たような感じよ。実は市内の引っ越しだったけど、もうすっごい遠くに行っちゃったと思う感覚。子どもにとっては、普段いかない場所であれば市内の引っ越しだろうと相当感覚としては遠いですよね。
つまり、今までの人生、5年間の間、オムツに支えられてきた子どもの世界からすると、オムツとさよならするって、大人が転職を決意するのと同じくらいの規模感だと思うんですよね。
こちらが選択肢を出して、どうする?と聞いて意思決定させてきたことは何度もありますが、何も働きかけていないのに、自分で考えて決めた、そんな息子の成長が心にじんわり来た朝だったのでした。
え、ところで娘(2)のオムツ外れ(日中編)はどうかって?
勿論、ぜーんぜん進んでおりません!
でもね、焦ってるわけでも、早い方がいい!と思ってるわけでもないけれど、汗ばんでると、あー早くオムツはずれないかな?って思うのは事実。そう、人間とは矛盾を抱えて生きるものなのだ。